◇遺産復興応援ブログ:第7回 中国における新たな遺跡発掘は考古学と盗掘の戦いの場1(全3回)
現在、中国では「中国考古学誕生100周年」を迎え、各地で様々な記念活動が開催されている。2021年春、中国考古学界理事長の王巍氏は、中国社会科学院の専用サイト「中国考古」に、世界四大文明の一つである中華文明は5,000年の悠久の歴史を誇っており、この100年の間に現代考古学は、中華民族の祖先達が創造したものを公示して、輝かしい文明と人間文明の発展の形跡を明らかにすることに著しく貢献した旨、熱いメッセージを掲載した。
経済の改革開放路線が敷かれた1980年代以降の中国考古学界の活躍は特に目覚ましく、既存遺跡の世界文化遺産の登録に向けた『先兵役』の役割を果たすとともに、国土開発に伴う各地工事現場での新たな遺跡発掘に貢献している。中でも1986年の第一次発掘調査に次ぐ2021年春から第二次発掘調査中の四川省成都市郊外の「三星堆遺跡」では、黄金の仮面等の新たな文化財が相次いで発掘されており、現在も発掘中の模様が随時CCTVの特別番組等で紹介され、空前の考古学ブームを引き起こしている。
2016年9月に三星堆遺跡1号・2号坑を訪れた際の「三星堆城墻・祭祀坑保護展示区」(By T.Koriyama)
100年前の1920年代の中国では、各地の軍閥が列強と結びついて抗争を繰り返しており、戦乱の荒れた社会情勢下で中国の現代考古学が誕生したことになる。当時の考古学は欧米の探検家やソビエトの影響がまだまだ強い情勢下にあったが、1923年に北京市西郊の周口店でスウェーデン人の考古学者によって原人の歯と思われるものが発見され、1929年に中国人学者の裴文中が北京原人の頭骨を発見し、中国の考古学が世界に注目された。(注:日中戦争の最中の1941年に頭蓋骨は紛失し、現在も行方不明となっている)。
日中戦争後の1949年10月1日には「中華人民共和国」が成立し、1958年から1960年にかけては「大躍進政策」の一環として全国各地で多数の関連工場が建設された。周口店付近は昔から石灰や石材の産地であったことから、工場建設や原料採取のために関連遺跡も例外なく破壊された。更に、1966年から1976年までの「文化大革命」においても、各地の貴重な遺跡が多大な被害を受け、考古学にとっては“暗黒の時代”が続いた。
1978年になって改革開放路線が敷かれて市場経済体制へと移行し、経済復興とともに、中華文明に対するに人々の認識も深まり、1986年には漸く先人の考古学者達の忍耐強い努力によって、各地の遺跡から工場が撤去され、修復作業が進められた。翌1987年には、『万里の長城』『北京と瀋陽の故宮』『敦煌の莫高窟』『始皇帝陵と兵馬俑坑』とともに、『北京原人化石出土の周口店遺跡』も約25万年前から40万年前の遺跡として世界文化遺産に登録された。開発に伴う様々な遺跡発見が相次ぐ中、1990年度からは毎春、国家文物局は当該年度内に発掘された遺跡のうち10項目を厳選し、「中国十大考古新発見」として発表。世界文化遺産の候補となる貴重な遺跡の発掘調査を支援し続け、考古学の発展に寄与している。(続く)
(T.Koriyama)
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