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◇遺産復興応援ブログ:第8回「『セレンゲティ国立公園(タンザニア)』と 『北海道・北東北の縄文遺跡群(日本)』から学ぶべきもの」

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(2021-12-15更新/ WHA 秘書


『セレンゲティ国立公園』より大移動を開始するヌーの群れ

 私の旅人生を振り返ると、人類共通の宝物である目に見える「世界遺産」との出会いも印象的でしたが、それ以上にそこで出会った人との出会いや周囲の自然に溶け込んだ文化的背景が素敵な「想い出」として心に残っています。そこで、私は現地の人から直接聞いた話と世界遺産に接した際に感じた直観をもとに、その「世界遺産が登録されるに至った歴史的背景や真に守るべき大切なものは何か」について所見を語りたいと思います。

 私は動物が大好きで、以前は毎年アフリカのマサイマラやセレンゲティ国立公園、ンゴロンゴロ自然保護区に行き、心の洗濯をしていましたが、今も当時の動画を見ながら気分転換をはかっています。特に世界自然遺産の『セレンゲティ国立公園』では、アフリカ大陸の最高峰キリマンジャロ山の裾野に広がる広大なサバンナでサファリを満喫することができ、地平線に動物の群れを眺めながら夕陽鑑賞というぜいたくな時間を過ごすこともできます。この国立公園では東アフリカに生息するほとんどの動物を観ることができ、数多くの草食動物とそれを追う肉食獣など、60種類以上の哺乳動物が暮らす文字通り「野生の王国」です。しかし、このセレンゲティ国立公園の主役は、やはり毎年、新鮮な牧草を求めて大移動するヌーかと思います。ヌーはウシカモシカとも呼ばれ、大きな群れを作り、中にはシマウマも混じることが多く、共にライオンなどの肉食動物の好物です。セレンゲティ国立公園はケニアのマサイマラ国立保護区に隣接しており、毎年7月頃にセレンゲティからマサイマラへ、そしてマサイマラの草が少なくなる10月頃にまた南のセレンゲティに向けてヌーは大移動を開始します。この移動には、幅100メートル近いマラ川が立ちはだかり、この川を渡る際に数多くのヌーがワニの餌食になります。そしてこの危険な川渡りで絶体絶命のヌーを川の支配者カバがワニの攻撃から守ったりする感動的なシーンを目撃することもあれば、川を無事に渡り終えたヌーをチーターやライオンが襲う衝撃的なシーンも観ることができます。

 この自然界での生と死のドラマを観察していると、集団から離れて行動すると襲われ易いので、家族や集団で行動することの重要性や、肉食獣は生きるためのハンティングはしても無駄な殺生はしていないことが分かります。その点人類は多くの食料を無駄にしており、動物本来の嗅覚や感覚も失いつつある危険を感じます。私は食べ物の賞味期限は自然界の動物同様、食べる人が自己責任で判断し、食料をもっと大切にすべきだと感じています。日本での日常生活では、この生きているという感覚やときめきを感ずる機会は少ないのですが、大自然の中に身を置くと、人間も自然界に生かされている動物であることが分かってきます。そして、生命体は太陽からエネルギーを得ているという感覚や、水分と塩分補給の重要性も野生動物が教えてくれます。

 まさに、縄文人の感覚を思い起こしてくれる国立公園ですが、2021年には自然と共存していた縄文時代の『北海道・北東北の縄文遺跡群』も世界文化遺産に登録されました。長期間継続した採集・漁労・狩猟による定住の開始,発展,成熟の過程及び精神文化の発達を示し,農耕以前における人類の生活の在り方と精緻で複雑な精神文化を顕著に示すものとして評価されたのです。


『北海道・北東北の縄文遺跡群』の代表「山内丸山遺跡」大型掘立柱建物

 これらの縄文遺跡は、ヨーロッパのように石の文化ではなく、木の文化であったため、建物はほとんど土となって、表面上に見えるものは残っていませんが、目を閉じると風とともに縄文人からのメッセージが聞こえてくるような気がします。私は学生時代に「人類学」と「人文地理」を選択したことがきっかけで、縄文文化に関心を抱くようになりました。縄文人は鹿やイノシシを狩り(狩猟)、クリやドングリなどの木の実を集め(採集)、川で魚を取りながら(漁労)、四季折々に採取できるものを知っていました。そして、土器を発明して調理方法を工夫し、食べられるものの種類を増やしつつ、冬に備えた保存食もつくり、長い年月をかけて自然を最大限に活用する術(すべ)を身につけたのです。四季がはっきりしており、食料となる動植物が豊かで、道具の材料になる黒曜石などの石に恵まれたおかげで、自然と共存できる独自の文化を築いたわけですが、同じ文化が1万年以上も長い間、争いもなく続いた時代は世界にも例がありません。縄文人は植物の繊維や動物の毛皮で造った衣類を身につけ、狩猟採集によって得た食材を土器で煮炊きして食べ、クリの木を柱とした竪穴住居に住むという、「衣食住」のほとんどを自然に依存していました。縄文人にとっては、このように自然はなくてはならない存在でしたが、自然は豊かな恵みをもたらすだけでなく、時として今日のように災いをもたらし、生命をおびやかすこともあったはずです。そのため、縄文人は自然を畏れ敬い、その気持ちが生命の誕生を象徴する土偶などの形となり、さらには自然の恵みに感謝と祈りを捧げるために使われました。

 また、水源が確保できる地に竪穴住居を建て、集団で定住生活を始めた縄文人は、旅することによって知恵を身に付け、そして交易を始め、工夫をこらして自然と共存・共生しました。これは、人類が生活を営むには、共同作業や交易といった人との助け合いが必要であること、水の確保、そして生活に必要な食料が得られる安全快適な自然環境が重要であったことを示唆しています。この縄文人の習慣や考え方は、長い間、私たち日本人の生活と精神の基盤をなしていたのです。例えば、今日の日本においても、人生で一番高い買い物は「家」ですが、この家を守り、家族を大切にする文化は縄文時代に起源がありました。

 しかし、今日ではより便利で快適な暮らしを求め、無秩序に山を削り、谷を埋めて、森林破壊を行った結果、地球環境が悪化したのです。現代病の花粉症も落葉広葉樹林に対して常緑針葉樹の杉が増えたことが原因かと思われます。そもそも縄文時代は、自然環境が針葉樹林から堅い木の実をつける広葉樹林に移り変わり、大型動物に代わって動きの速い小型動物が増えた頃から始まったのです。『北海道・北東北の縄文遺跡群』を巡ると、縄文人は総じて、今日の私たちよりも自然や生き物に対する「共感力」が秀でていたと考えられます。「共感力」とは一種の直観力で、目に見えない自然の脅威や言葉以外のメッセージ、すなわち心を感じ取る能力です。新型コロナウイルス感染拡大防止のためには、人との接触を避けることが必要ですが、人は自然や他人との触れ合いがなくなると、この生きるために必要な「共感力」が衰え、感情も老化します。


セレンゲティ・セレナ・ロッジでの著者

 「感情の老化」とは耳慣れない言葉かもしれませんが、「感情」も使っていないと老化するのです。そして感情が老化すると、五感が鈍るだけでなく、新しいことに挑戦する意欲を失い、無感動となって、それが「記憶力の低下」「体力の衰え」といった本格的な老化現象に繋がります。私は、この新型コロナウイルスによって、人類は歴史的な変革を求められているような気がします。そこで、私たちは今こそ人類の残した世界遺産についての正しい知識を身に付け、自然と共存・共生していた縄文人と野生動物に学ぶべき時だと考えます。セレンゲティの自然遺産と縄文人の文化遺産は、私たち人類が地球の自然の中でどのように生きるべきかを示唆しているのです。

写真・文:日本旅行作家協会会員 黒田尚嗣