■ 研究員ブログ51 ■ 世界遺産の富岡製糸場へ!
ゴールデン・ウィークが近づいてきました。
この時期は休みも近いし、暖かさも安定してきて、
頭の中のお花畑でお花摘みをしているような気分で、
なかなか仕事に集中できない……のは、僕だけですね。
ゴールデン・ウィークが近づくこの時期になると気になるのが、
今年の世界遺産委員会で審議される遺産への、ICOMOSの勧告です。
カタールのドーハで開催される今年の世界遺産委員会では、
日本の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が審議される予定です。
その勧告がもうそろそろ日本政府に届けられます。
ICOMOSの勧告は、世界遺産委員会の6週間前までに出されることになっており、
今年の世界遺産委員会は6/15~6/25の日程で開催される予定なので、
勧告はその6週間前の、5/4までには出されるはずです。
もうすぐのことで、ドキドキしますね。
では、昨年の『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』ほど有名ではない
「富岡製糸場と絹産業遺産群」の価値は何でしょうか。
◆ その1「日本のものづくり大国の原点」
日本は工芸などにおいて、世界でも有数の技術力をもっています。
漆や螺鈿、唐紙、表具など、繊細な日本の伝統工芸は、
海外で目にした伝統的な金細工などよりも完成度が高いものが多いと、
僕は思っています。
その歴史は古く、1,000年以上の歴史をもつ伝統工芸もあります。
しかし、日本がそうした「高いレヴェルの工芸品を作る国」であると
世界からはっきりと認知されたのは、
明治時代に富岡の「絹」が世界を席巻してからです。
フランス人のポール・ブリューナを迎え、
西洋の最新技術を取り入れながら、
世界最大規模を誇る官営工場で絹が生産されて、
その高品質な絹は、フランスやイタリア、アメリカなどの
服飾産業の発展を支えました。
現在の日本の「ものづくり大国」のイメージは、
まさにここから始まったと言えます。
◆ その2「産業遺産としての物語」
現在、世界遺産には英国を中心に産業遺産がいくつか登録されています。
そうした、登録されている産業遺産の中でも、
産業革命以降の遺産の特徴となっているのが、
「労働者福祉」の精神です。
労働者から搾取して搾取して発展した、という工場などは
登録されていません。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」はそうした流れの延長線上にあります。
富岡製糸場は、製糸を行うのと同時に、
全国から工女を募集し、後に彼女たちが地元へ戻り指導者となるようにする、
ということも目的としていました。
そのため、工女たちの労働環境にも配慮されており、
医師の常駐する病院や寄宿舎、食事や薬なども無料で用意され、
季節ごとに花見や盆踊りなども行われていたといいます。
労働者福祉も考慮しながら世界に誇る絹を生産するという物語は、
産業のあり方として、現在でも模範となるものです。
◆ その3「和洋折衷」
今回、推薦する登録基準は、
登録基準(ii)「文化交流の価値」と登録基準(iv)「建築技術の価値」です。
明治政府が官営工場を作るにあたり、
フランスの技術を取り入れましたが、
そこで日本の文化との融合が行われました。
富岡製糸場の東繭倉庫や西繭倉庫は「木骨レンガ造り」と呼ばれる構造で、
日本の木の骨組みに、日本の瓦職人が焼いた西欧型レンガを組み合わせています。
そして、天井はトラス構造と呼ばれる、
三角形を用いて力を分散させる構造で、工場内には柱がなく、
世界最大規模の300台もの製糸器械を置くことが可能でした。
こうした和洋折衷は建築などに留まらず、
繭生産の技術でも見られます。
蚕の飼育や繭生産は日本各地で伝統的に行われてきたものですが、
西欧の技術を取り入れることで、品質と生産性が格段に向上しました。
西欧の文化が日本の文化と融合し、
そこで生み出された絹が世界の文化や経済に影響を与える。
これが富岡製糸場の世界遺産としての一番の特徴です。
◆ その4「製糸工場の希少性」
以前も「■ 研究員ブログ45 ■ ICOMOSの調査員は何者?」で書きましたが、
世界遺産の中に紡績関連のものは多いですが、製糸関連のものは少なく、
製糸工場が単独で登録されているものはありません。
そうした意味で、製糸工場だけでなく、
養蚕農家や原料保存(風穴など)が一体となって、
絹産業に関わる過程や発展を示しているこの遺産は、
世界遺産として先例のない独自の価値をもっていると思います。
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昨年は、ゴールデン・ウィーク直前にICOMOSからの勧告が届きました。
今年はいつ頃になるでしょうか。
西欧の技術を導入して日本が近代化した、という物語は、
よくも悪くも啓蒙思想が好きなヨーロッパに
受け入れられやすいものです。
吉報と共に楽しいお休みを迎えられるとよいですね。