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■ 研究員ブログ 57 ■ 自己責任と個人主義

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IS(イスラム国)はここ数年で一気に世界的な関心事になりましたが、
とうとうそれが私たち日本人にも他人事ではない事態となりました。
ISによる日本人人質事件です。

彼らのしていることに強い憤りを覚えます。
そして得体の知れない恐怖を感じます。
人質となっている方の映像をニュースで見るたびに、
息苦しくなるような怒りと恐怖を感じるのです。

ISについては言いたいことも思うことも沢山あるのですが、
書き出すときりがないので、少し話を変えます。

今回の人質事件でも、
自己責任がどうのこうのという意見が多く飛び交っています。
「自己責任論」などという論理だったものではなく、
自己の責任を何でもかんでも一緒くたにした雑なものです。

こうした自己責任に関する意見を見るたびに、本当にうんざりします。
少なくともジャーナリストなどに向けられるべきものではありません。

こういう雑な自己責任の意見は、裏を返せば
「(自己責任なのだから)自分は何をしても構わない」
ということです。

「自分で責任をとるんだから何をしたって勝手でしょ!」
というのを「個人主義」だと勘違いしている
自分勝手な意見にしか思えないのです。
その一方で横並びからはみ出したものは気に入らない、という変な考え方。

先日、山間のある古い宿場町に行くことがありました。
旧街道の宿場町としてかつては栄えていたそうですが、
今は宿場町らしい建物が1~2軒あるだけで、
あとはどこの街でも見られるような民家が立ち並んでいました。

地震や火災に弱い木造の家屋を維持しながら街並を残す、
ということは本当に難しいことです。
これは日本の文化の宿命でもあります。

しかし、それだけとも言えません。

日本人は個人よりも社会(集団)を重んじると考えられがちですが、
日本は「私」に対して「公」が弱いのが特徴です。
街並に関して言えば、それぞれの家は個人(私)の持ち物なので、
自治体(公)が街並を規制して整えたいと考えても難しいことが多いのです。
街全体の調和よりも個人の嗜好が重視されてしまうという話も
自治体の人から聞いた事があります。
規制を受けたくないから住民が有形文化財の指定を拒否したという話も。

もちろん、多くの場合、
自治体が景観に対するヴィジョンを
欠いているというのも事実です。

しかし、2007年から新景観政策を実施している京都でも、
軌道に乗るまでは大きな反発がいくつもありました。

そもそも、京都は古くから「古都保存法」に基づいて歴史的風土保存区域を定め、
景観を守る取り組みを行ってきましたが、それも24の地区に過ぎず、
ヨーロッパの古都などを歩いた時に感じるような、
タイムトリップしたような感覚になる景観は少ししかありません。

ヨーロッパで少なからず古い街並が残っているのは、
素材が石だから、というだけではなく、
国や自治体が、市民の「私」を制限してでも、
街並の保護・保存に力を入れているという点が大きいのです。
……もちろんお金の問題もありますが。

日本で「個人主義」の国と思われているフランスでも同じです。
人々は「私」を制限されることに、窮屈さを感じたり文句を言いながらも、
国や自治体の景観保護に従っています。
フランスは、「公」が強い中央集権的な国なのです。

日本の建築基準法にあたるフランスの「建築に関する法律」で、
建築は文化の表現であり、建築の創造や質を環境に調和させることは公益である、と
書かれている点を見ても、日本のそれとは異なっています。

「個人主義」というのは「私」が強いエゴイズムではなく、
「私」の内面に、誰にも侵されない自分の領域をもっている、
確固とした自分の意見をもっている、ということです。
そうした個人が社会や共同体の中で生きているのです。

「個人主義」の社会からは、最近日本で見られるような
雑な自己責任の意見は出てこないでしょう。

そういった意味で、世界遺産登録されている街や、
世界遺産登録を目指す自治体に住む人々は、
「世界遺産」である前に、「自分の住む街をどうしたいか」ということを
よく考えなければなりません。

自分の意見をはっきりともつと同時に、
所属する社会や共同体について考えることが
特に世界遺産のある街に暮らす人々には重要です。

世界遺産登録をめぐる地域の過剰な盛り上がりと、それと一対の反対運動。

自分の街をどうしたいのか、どのような生活をここで送りたいのか、
何が地域のアイデンティティとなるのか。
世界遺産を目指す前に、今一度よく考えてみて欲しいと思います。

最後になりましたが、
後藤さんが無事に解放されることを
本当に本当に願っています。