■ 研究員ブログ65 ■ 明治日本の産業革命遺産②:遺産価値がよくわからない?
前回に引き続き、「明治日本の産業革命遺産」について書きたいと思います。
「明治日本の産業革命遺産」は、今ひとつよくわからない、
という意見をよく耳にします。
「明治日本の産業革命遺産」がわかりにくい理由はいくつかあると思います。
まず、「明治日本の産業革命遺産」は8県11市に23資産が点在しています。
広範囲に資産が広がっているという点でも、日本では珍しいのですが、
それらの資産がさまざまな産業と関係しており、
その所為で遺産全体のイメージがぼんやりとしてしまうのではないでしょうか。
同じ産業遺産であっても、昨年登録された『富岡製糸場と絹産業遺産群』は、
その名前の示すとおり、「絹産業」に関係する4資産で構成されています。
これは個々の資産をよく知らなくても「絹産業遺産群」と聞いただけで、
「あぁ、絹に関係する産業遺産なのね。なるほどなるほど。」と
何となく納得することができます。
また、『古都京都の文化財』のように、
さまざまな時代、背景、宗教、宗派に関係する資産が含まれるものであっても、
近接した地域にあるので、全体として京都の歴史を証明しているんだろうなと、
これまた何となく納得することができると思います。
その点、「明治日本の産業革命遺産」は、8県にまたがっている上に、
造船業があり、製鉄業があり、製鋼業があり、炭坑業があり、
伝統的な「たたら製鉄」の遺跡があり、動力となる水を供給する疎水があり、
人々の住んだ城下町や技師の住居、グラバーさんの家があり、
思想的背景となった塾があり、何だかよくわからない反射炉があり……。
もう、こうして挙げているだけで何だかよくわからなくなってきます。
ならば、こうした複雑な構成資産で何を証明しようとしているのでしょうか。、
「明治日本の産業革命遺産」は、今では主要先進国に数えられている日本が、
半世紀という短い期間でどのように国家の価値観を変えて近代化し、
世界的にも注目を集める大躍進を果したのか、という
歴史的価値を証明しようとしているのです。
「明治日本の産業革命遺産」が、さまざまな資産を含んで複雑なのは、
日本の近代化がそうした重工業を中心とした複雑な背景によって支えられた
ということを物語っているとも言えます。
次に、同じ産業遺産なのに『富岡製糸場と絹産業遺産群』とはどこが違うのか、
という点でもこんがらがってしまうのではないでしょうか。
先述したように、富岡製糸場は絹産業に関する資産だけなのに対し、
「明治日本の産業革命遺産」はさまざまな産業に関するものが含まれます。
これは『富岡製糸場と絹産業遺産群』が
絹産業における「ヨーロッパの技術の導入」と「日本の技術発展」を
証明する遺産であるのに対し、
「明治日本の産業革命遺産」は、それら2つに加えて、
「日本の伝統と特定の時代」も証明しているという点で異なっています。
登録基準を見ても明らかで、
『富岡製糸場と絹産業遺産群』が登録基準(ii)と(iv)なのに対し、
「明治日本の産業革命遺産」は登録基準(ii)(iii)(iv)での推薦です。
つまり「明治日本の産業革命遺産」は、特定の産業ではなく、
日本の近代化という「時代」を証明する遺産だと言えます。
どうでしょう?
少しは「明治日本の産業革命遺産」を「わかった」気になれたでしょうか?
何だかわかった気がする、というのが遺産を身近に感じる第一歩だと僕は思っています。
皆さんもぜひ、こんな遺産なのかな?と、
何となくわかった気になってみてくださいね。