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■ 研究員ブログ81 ■ つくる人になろう:ライ王のテラス

2015.10.13

本格的に秋の気配になってきましたね。
あまり心躍る時間とは言えない朝の通勤の駅までの時間ですが、
この季節は秋の香りも陽ざしも心地よくて、
いつもよりは足取り軽く駅に向かえている気がします。
スキップするほどではありませんが。

前回少し、「遠近法」のことを書きましたが、
今回もちょっと遠近法から入りたいと思います。

遠近法で描かれた絵画作品は、
写実的な描写として非の打ち所がないと思われがちですが、
実はそうでもありません。

遠近法は観る人の視点を「正しい一点」に限定するものです。
遠近法において直線が集約する点を消失点といいます。
現実の世界において本来その消失点は、
観る人の視点の位置によって異なるはずなのですが、
遠近法の絵画では消失点が固定されているために、
「正しい一点」以外から観ると絵画が歪んで見えてしまうのです。

実はこれは絵画の話だけに留まりません。
なぜなら、世界が西欧式のスタイルで「近代化」する上で、
西欧の思想の根底にあったのが、この遠近法的な考え方なのです。

世界には共通する「正しい文化」があって、
その方法で近代化すべきであるという考え方が、
デカルトの近代的な合理主義や、
ヨーロッパの思想を未開の地に広げるという啓蒙主義などにはあります。
西欧の人々は純粋に、その「正しい文化」とは、
自分たちの西欧の文化であると信じていましたし、
それが『ガラパゴス諸島』でよく出てくる
ダーウィンの進化論(自然淘汰)という自然科学の考え方と合わさり、
まるで真実かのように世界に広まってきました。

非西欧の人々も、大航海時代以降の西欧近代の力の前に、
時にそれを疑いながらも、大筋としては受け入れてきたのだと思います。

今年、『明治日本の産業革命遺産』が世界遺産に登録されましたが、
あの遺産の「短期間で西欧的な近代化を遂げた」という価値が、
日本人にとって本当に「素晴らしい」と純粋に喜べることなのかなと、
どこかで思ってしまったのも確かです。

なぜなら、西欧がつくり上げた思想やルールでは、
非西欧はいつまでたっても「よそ者」に過ぎないからです。

日本人は英語ができないから国際社会で交渉力がないのではなく、
他人の作った思想やルールに無理やり合わせざるを得ないので
国際的な交渉で苦労するのです。
今回のTPPの交渉を見ていてもそう思いました。

英語を第二公用語にしたら何とかなると思っているのは、
能天気すぎます。

『星の王子さま』で有名なサン・テグジュペリの文章に
「自分がカテドラルを建てる人間にならなければ意味がない。
できあがったカテドラルの中に、ぬくぬくと自分の席を
得ようとする人間になってはだめだ。」
というのがあります。

つくる人になろう。

今回、ノーベル賞を受賞された大村さんと梶田さんの業績を見ていても、
自分の視点で新たに世界をつくり上げることの大切さを感じました。
簡単なことではありませんが。

そんなことを考えている時に、
世界遺産検定1級をもっている鈴木亮平さんが舞台で、
『アンコールの遺跡群』と深く関係する
ジャヤ・ヴァルマン7世を演じるというニュースを見ました。

ジャヤ・ヴァルマン7世は、アンコール・ワットを復興させ、
アンコール・トムを築き、アンコール朝の最盛期を迎えさせた王です。
ライ病に苦しみながらも現在にも残る多くのことを成し遂げたとされています。

何かをつくり出す、生み出す、というのは、
本当に大変な作業です。成功するとも限りません。
明治維新が別の結果を迎えて日本式の近代化を遂げたとして、
それが今のように「発展した日本」になっていたかどうかはわかりません。

そして対西欧を一歩間違えると、ボコ・ハラムやIS(イスラム国)の主張のように、
他者に対して不寛容な価値観になってしまうこともあり得ます。
彼らの主張は、文化が混ざり合うということを無視しているのですが。

それでも、つくる側になりたいと僕は思っています。
「世界遺産」というのは、そうした各文化・民族がつくり上げ守ってきた
独自の文化や自然の集合体なのですから。

ジャヤ・ヴァルマン7世が何を考え、苦しみながら一時代を築き上げたのか、
舞台『ライ王のテラス』ちょっと観てみたいです。

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