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■ 研究員ブログ125 ■ 『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群はどんな遺産?

宗像・沖ノ島が世界遺産に登録されてから半月ほどが経ちました。
これまでの世界遺産登録に比べると、あまり話題になっていないように感じます。
九州北部の大雨災害や、日本全国の異常気象、国会での諸々の話題など、
注目のニュースが目白押しということも関係していますが、
「毎年世界遺産が誕生する」ということが当たり前のようになっている、
というのもあるのだと思います。

「世界遺産が誕生するのが当たり前」となっている背景には、
「世界遺産になる」だけが注目されて、
「その遺産がどんな遺産なのか」「どの点が世界遺産として評価されたのか」
という本質的なところがほとんど注目されていないということがあります。
世界遺産は全て違う価値をもつのに、「世界遺産」ということだけに目がいっているというか。

ということで、『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』が
どのような遺産なのか、今回ちょっと書いてみようと思います。

今回登録された構成資産は次の8資産です。

1.沖ノ島(宗像大社沖津宮)
2.小屋島
3.御門柱
4.天狗岩
5.宗像大社沖津宮遥拝所
6.宗像大社中津宮
7.宗像大社辺津宮
8.新原・奴山古墳群

この構成資産は、遺産の特徴から
「沖ノ島」と「宗像大社」「古墳群」の3つに分けることができます。
「沖ノ島」が1~5、「宗像大社」が1、5~7、「古墳群」が8です。

この3つの特徴が一体となって、
宗像・沖ノ島の信仰の歴史を証明しています。

今回の構成資産の中心となる「沖ノ島」は、
海の航海の安全を祈る場所として、4世紀頃から約500年もの間、
国家的な祭祀が行われてきました。

4世紀頃というのは、
大和王朝が朝鮮半島の百済との結びつきを強めた時期で、
九州と朝鮮半島の間に位置する沖ノ島は、
航海上の目印としての重要性もあり、
島自体が自然崇拝の信仰を集めました。

沖ノ島には、そうした交易の証拠と祭祀の跡が残されています。

沖ノ島では、巨岩の上で祭祀を行う「岩上(がんじょう)祭祀」から、
庇状になった岩の陰で行う「岩陰(いわかげ)祭祀」へ、
そこから「半岩陰・半露天祭祀」を経て、
平らな場所で祭祀を行う「露天祭祀」へと、
祭祀の形態が変化していったことがよくわかるのですが、
なぜそれがわかるのかというと、
それぞれの場所で貴重な奉献品が見つかっているからです。
これまでに約8万点もの奉献品が見つかり、
その全てが国宝に指定されています。

こうした、自然崇拝から来る祭祀は、
沖ノ島以外でも日本各地で行われてきましたが、
沖ノ島は、九州本土から約60kmも離れており人が訪れにくいことや、
島自体をご神体とする信仰の中で上陸が禁忌とされてきたことで、
奉献品が「祭祀の証拠」として手付かずで残されたのです。
「海上の島」であることが決め手でした。
世界遺産として評価されたのもこの点です。

次に「宗像大社」ですが、
これは自然崇拝から始まった沖ノ島の信仰が、
「宗像三女神」という人格をもった神に対する信仰へと発展し、
その両者が共存しながら「宗像・沖ノ島」の信仰を形作ったことを証明しています。
また、「露天祭祀」から「社殿をもつ祭祀」へと発展したことも示しています。

8世紀はじめの『古事記』や『日本書紀』には、
「おきつみや」「なかつみや」「へつみや」の名前が記されており、
古くより信仰が行われてきたことを証明しています。
(それぞれの漢字は文書によって異なります。)

9世紀に遣唐使が廃止されると、
沖ノ島の重要性が薄れ、国家的な祭祀が行われなくなりましたが、
その間も宗像三女神に対する信仰は続き、
17世紀頃から社殿が作られ始めました。

ただ、古代の沖ノ島での祭祀が、現在まで続く宗像大社での祭祀と
どのように関係しているのか「証拠」が残されていないため、
イコモスは、価値を証明できない、との判断を示しました。
イコモスが「証拠を示して」と言ったのはこの点です。

最後に「古墳群」ですが、
これは宗像・沖ノ島の祭祀を取り仕切った
「宗像氏(別の漢字の表記もあります)」の存在を証明するものとして、
今回の資産に含まれました。
大和王朝が百済と交易する際に頼ったのが、
この地域の豪族で、航海技術に長けていた宗像氏でした。
彼らの力があってこそ朝鮮半島や大陸との交易が成立したといえます。
天武天皇の女官のひとりに宗像氏の娘が就いていることからも、
大きな力をもった地方豪族であったことが伺えます。

沖ノ島を語る際によく禁忌について触れられています。
沖ノ島で見聞きしたことを口外してはいけないという「不言様(おいわずさま)」や、
沖ノ島から一切何も持ち出してはいけないという
「一木一草一石たりとも持ち出してはならない」、
上陸前には着衣を全て脱いで海に浸かり心身を清めなければならないという
「上陸前の禊(みそぎ)」のほか
一般の人々が沖ノ島に上陸してはならないことや、
女性が上陸できない「女人禁制」などです。

これらの禁忌が成立したのは17世紀頃からだと考えられています。
こうした禁忌をどこまで守っていけるのか、
イコモスからも信仰空間の保全(不法上陸をいかに防ぐか)について
検討が必要であるとの指摘を受けました。
これは世界遺産委員会での決議にも含まれています。

先日のニュースで、沖ノ島信仰を守るために
一年に一度、選ばれた一般の人々が上陸できる沖津宮現地大祭を
来年から中止する方針が固まったとありました。

この方針も悪くはないと思いますが、
信仰空間を守るためにまずすべきところはそこなのかな? とも思います。
さまざまなメディアが「今回は特別な許可を頂いて上陸しています」といって
沖ノ島の中を取材し放送していますが、
禁忌はどうなってるんだ、と思ったのは僕だけではないと思います。
「こちらは、神官の方もめったに入ることがない場所です」
とレポーターがテレビカメラの前で言っているのを聞いて、
なんだかがっくりきてしまいました。

今回の世界遺産登録では、8資産全て含まれたことで
「宗像・沖ノ島の信仰の全体像」が評価されたわけなのですから
(「顕著な普遍的価値」はまだ暫定的との決議ですが)、
その歴史ある信仰の全体像を崩すことなく、
世界の遺産としての「宗像・沖ノ島信仰」を守っていってもらいたいと思います。

神そのものである沖ノ島に上陸せず、
大島の沖津宮遥拝所から手を合わせる、って
とても日本的でよいと思うのですが。

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