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■ 研究員ブログ134 ■ エルサレムをめぐるトランプ大統領の決断 あるいは あの素晴らしき七年

アメリカ合衆国のトランプ大統領が、
エルサレムをイスラエルの首都と正式に認めるとの報道があった日の朝、
僕は職場に向かう電車の中でエトガル・ケレットのエッセイを読んでいました。

ケレットは、イスラエルのテルアビブ在住の現代イスラエル人作家です。

彼の両親はナチス・ドイツによるホロコーストを生き抜いたふたり。
一方で、彼の息子はテロによる負傷者が運び込まれてごった返す病院で生まれます。

「テロによる負傷者でごった返す病院」なんて書くとすごい状況をイメージするのですが、
(もちろん、すごい状況なのですが。)
ケレットが子供の誕生を待つ病院では雰囲気がちょっと違います。

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「テロリストの攻撃にはホントうんざり」とやせた看護師が年上の同僚に言った。
(中略)
「事故とかそういうのは全然かまわないの。あたしが言っているのはテロのこと。
あれがあると色んなことが滞るわ」
(「突然いつものことが」より)
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僕が日常を過ごしているここ、東京とは全然違い、
イスラエルでは、テロは毎日のさまざまなコトを「滞らせる」程度の日常で、
その中で、僕らと同じように仕事をして学校に行って、
映画を観たり音楽を楽しんだり、子供を公園で遊ばせたりしているのです。

僕を含む日本人の多くにとって、「ユダヤ人」のイメージは、
「ホロコーストを受けた人々」という被害者のものが頂点で、
その後はイメージそのものがどんどん乏しくなっていって、
最近では、アメリカ合衆国で強力なロビー活動を行う人々や、
中東において圧倒的な軍事力で強硬な態度をとるイスラエルの人々など、
どちらかというと加害者的なイメージも強くなっている気がします。
でも全体的にはぼんやりしている。

一方でパレスチナの人々のイメージも、
イスラエルが1948年にテルアビブで国家樹立を宣言して以来、
ずっと暮らしてきた土地を追われ
今も「自分たちの土地」で迫害されているかわいそうな反面、
「狂信的」なテロを続ける人々という、
いまひとつはっきりしないぼんやりしたものです。

……ぼんやりしてるの僕だけじゃないですよね?

しかし、ケレットのエッセイを読んでいると、
そんなぼんやりしたイメージで単純化できない
さまざまな人々がさまざまな立場で考えながら行動し、
生活していることがわかります。

イスラエルにだってパレスチナにだって強行派と和平派がいるし、
近年の歴史の中でもその両派が交互に顔を出し、
和平交渉が三歩進んで三歩下がる的な状況にあるのです。

トランプ大統領は演説の中で、
「20年以上を経て、和平合意に一歩も近づいていない」と
歴代の大統領の方針を批判しました。
パレスチナ問題は、僕が言うまでもなく、相当に複雑です。
トランプ大統領は本気で、
エルサレムを首都に認定したら和平合意が動き出すと思っているのでしょうか。

エルサレムにある世界遺産『エルサレムの旧市街とその城壁群』は、
以前も書きましたが、ヨルダンが代理申請をして、
世界遺産の中で唯一、保有国が実在しない「エルサレム」になっています。

これは、第三次中東戦争で
ヨルダン領であったエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸を
イスラエルが征服し実効支配している現状を、
世界中の国々が未だ認めていないという背景があります。

世界中の国々は、1993年のオスロ合意で決まった、
イスラエルとパレスチナの話し合いによる解決を見守っています。

オスロ合意以降の紆余曲折については、専門家の説明に任せますが、
ヨルダン川西岸からイスラエル軍を撤退させるプロセスにおける
1997年のヘブロン合意で、
2017年にパレスチナの世界遺産となった「ヘブロン」から
イスラエル軍が撤退することも決まっていました。

しかし現在、オスロ合意は事実上、破綻した状態にあります。
その中で、東エルサレムまで含むエルサレム全体をイスラエルの首都と認める
今回のトランプ大統領の決断は、相当に危ういものです。

世界遺産の観点から言えば、リビアなどの例を挙げるまでもなく、
地域の政情が安定しないことは、遺産保護にとって最大の脅威です。

『エルサレムの旧市街とその城壁群』のように、
宗教と深く関係のある遺産の保護は、特に慎重である必要があるのに。

ケレットたちイスラエルで暮らす人々にとっても、
今回のトランプ大統領の決断でプラスになることは何もない気がします。
ネタニヤフ首相は歓迎しているようですが。

ユーモアに溢れるケレットのエッセイの中で、
ケレットが妻に次のようなジョークを言う場面があります。

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「大丈夫、心配しなくてもいいんだよ。ぼくらはふたりとも負けやしないんだ。
今までだって多くの困難に打ち勝ってきたじゃないか。病気、戦争、テロリストの攻撃、
だからもし運命が次にぼくらに与えようとしている困難が『平和』なら、
ぼくらはそれにだって負けやしないさ」
(「爆弾投下」より)
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テロや戦争が日常になっている暮らしは僕には想像もつきません。
ただ、他者を知り尊重する世界遺産の理念を
もっともっと世界中の人々に知ってもらいたいと思うばかりです。

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