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■ 研究員ブログ135 ■ 誰がダビデにパンツをはかせるのか……フィレンツェの歴史地区

好きなイタリア人作家や作曲家、映画監督、画家がそれぞれ何人かいて、
好きなイタリア人サッカー選手が何人かいて、
大学院時代に一番可愛がってもらった恩師がイタリア研究者だったこともあって、
僕はイタリアが結構好きです。

しかし、実際にイタリアを訪れたのは、
フランスに留学してからのことでした。
一番仲のよかったイタリア人留学生の実家に泊めてもらい、
ローマを見て回ったときの驚きというか感激というか、
気分がわるくなるほどわくわくしたことを
今でもよく覚えています。

その後何度かイタリアを訪れていたのですが
一度も行けていなかったのがフィレンツェでした。
いつも友人の実家のあるローマや、留学先から近かった北イタリアばかりで、
フィレンツェを飛ばしてしまっていたのです。

はじめてフィレンツェを訪れジョットの鐘楼に登って見た、
大聖堂のドームの奥に広がる赤褐色の瓦屋根の街並みは、
「花の都」と称されるにふさわしいものでした。
「ローマ時代」の遺跡からなる灰白色っぽいローマとは全然違います。

フィレンツェは、イタリアのルネサンスが花開いた都として有名ですが、
フィレンツェの「花の聖母マリア」という名をもつ
「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」は、
ルネサンス建築が始まった聖堂とも言われています。

「ルネサンス」とは、フランス語の「ル(再び)」と「ネサンス(生まれる)」
からなる言葉で、「再生」を意味します。
キリスト教の教会が強い力をもっていた中世の封建社会を打ち破り、
人間的な精神を取り戻す、神から人への大きな文化運動が「ルネサンス」でした。

その際に人々が拠り所としたのが、
古代ギリシャやローマなどの「古典文化」です。

古代ギリシャやローマは、自由な市民による人間的で合理的な文化で、
信仰する神々が人間と同じような姿で人間と同じように恋愛をしたり酒を飲んで騒いだり、
笑ったり悲しんだりする多神教の世界でした。

しかしそうした世界は、ローマ帝国がキリスト教を国教とするとはっきり変わります。
キリスト教は、イエスを唯一の救世主(キリスト)とする一神教で、
音楽や絵画などの芸術も、思想も建築も、人々の毎日の生活も、
すべてイエス・キリストが中心にあり、神に捧げられました。
中世は、人間よりも神が重視される、教会が最も力をもった時代でした。

そうした中世に変化が訪れたのは、
中世末期に商業を通して発展したヨーロッパの諸都市が、
教会や封建領主による古い社会を打ち破る強い熱気と自由な気風をもったことです。
人々は「人間の精神」を見直し、
人文主義(人間主義)を中心とした芸術や思想を生み出していきました。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で見られるドーム型の天井は、
水道橋などのアーチ構造を特徴とする古代ローマではよくある天井でしたが、
キリスト教が中心の中世西ヨーロッパでは天上世界に近づく「高さ」が重視され、
ドーム天井は作られなくなります。
それが古典文化を再評価するルネサンスの時代、
ブルネレスキがフィレンツェの大聖堂にドーム天井を採用したことで
約1,000年ぶりに古典文化が復活したことを象徴する建造物となりました。

また、大聖堂近くのヴェッキオ宮(市庁舎)の前に立つ
ミケランジェロ作のダビデ像もまた、ルネサンスを象徴する作品です。
巨人ゴリアテを倒そうと睨み上げるダビデの姿は、
人間の体や精神の美しさ、力強さを表現しています。
ルネサンスをこうした神から人への運動と考えると、
ルネサンスの芸術家が描いたやけに露出度の高い作品なども理解できます。

以前、日本のある街で公園にダビデ像やミロのビーナス像を設置したところ、
「子供の心に悪影響があるのでは」、「せめてパンツをはかせてほしい」と、
住民から苦情があったとのニュースがありました。

ある日突然、近所の公園に巨大なダビデ像が立ってたら、
なんじゃこりゃぁ! ってなりますよね、当然。

ヴェッキオ宮の前のダビデ像が、ある日突然パンツをはいていたら、
それはそれで、なんじゃこりゃぁ! となると思いますが。

見る場所や時間、タイミングなどを問わない絶対的な「美」はあるのか?
なんて考えてしまったフィレンツェの話でした。

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