◆世界遺産クラブ通信◆「日光の社寺修復現場見学会」報告-3
【日光の社寺修復現場見学会】
「石の間」の床張り替えと二荒山神社
東照宮透塀の作業現場で、漆について多くのことを学んだ次は、床の張り替え工事中の「石の間」へ。「石の間」は、本殿と拝殿をつなぐ廊下の役目にあたり、本殿・石の間・拝殿が1棟の建物を形成している。このような形式は本来、「八幡造り」と言われるものだが、日光東照宮で採用されてからは、東照宮の祭神:東照大権現にちなんで「権現造り」として広く知られる。また、北野天満宮以外では見られなかったが、豊臣秀吉を祀る豊国廟(桃山時代)や宮城県の大崎八幡宮には用いられており、日光東照宮以降、久能山東照宮、上野東照宮をはじめ、全国の神社や霊廟建築で数多く採用されるようになった。もともとは土間であったが、後に低い床が張られたり、同じ高さで本殿と拝殿をつなぐようになったようだ。東照宮の「石の間」は、本殿・拝殿より低くなっているが、床が張られている(写真左上)。張替え工事中とあって、特別に覗くことができた高さ1mほどの床下には、地面からの湿気やほこりよけのため、まさに「石」の板がびっしり敷き詰められており、狭い木組みの間で、職人さんたちが古い木を削り、新しい木材を充てている。
ノウハウや材質を後世に伝えるため、完全に新しくするのではなく、出来るだけ昔の材料を残すように心掛けているのだという。
東照宮は「現状維持修理」が基本
後世に伝えるための修復スタンス
現場見学の最後に訪れたのは、二荒山神社。平成19年4月に始まり、平成21年12月にかけ、掖門・透塀を対象に、腐朽や破損している部分の取替え、補修、漆塗り工事が進められている。透塀の格子の中塗りを青漆で行なっている様子(写真右)を見学。青漆は酸化クロムが混じっているため、今は緑色になっているが、時が経つと緑が一度黒くなり、また緑色に戻るのだそうだ。 また、透塀には今も「さめの皮・木賊」などが残っていて、昔は透塀を研ぐために、そういったものを使っていたことがわかると聞き、昔の職人達の痕跡を感じ取ることのできる歴史建造物なのだと、あらためて感動を覚える。
ところでもうひとつ、漆の特質を示した『漆紙文書(うるしがみもんじょ)』の興味深い話について。漆の保存には、適度に空気を通す紙が最適なのだが、かつて紙は貴重品だったため、廃棄する文書を漆容器の蓋紙にしていたところ、漆の湿潤によって(土中に埋められていても)紙が腐らず、当時の文字が読めるという文書のこと。漆を入れる桶の蓋は丸いので、四角い紙の丸い(蓋の)部分だけ、土中から発見されるのだ。「漆紙文書」は肉眼では見えないので、赤外線で読み取るという。
江戸芸術の極み「大猷院」
さて、見学会の一泊コースの面々は翌日、大猷院を訪れる。家光公の廟であり、金閣殿の別名を持つ大猷院は、全体として非常に統一のとれた建造物だ。3つの重要文化財の門をくぐりながら石段を登る眼下には、10万石以下の大名が寄進したという多数の灯篭が配された美しい庭が見える。さらに登ってた辿り着く本殿は小山の中腹。東照宮のようなあでやかな彩色はみられないが、側面の黒塗りと金箔がどっしりとした落ち着きを与えている。 ここは、建立以来全く手を加えておらず、たびたび大修理が施されている東照宮の鮮やかさに比べ、日本的な趣があるように感じられる。また、この小山一面に植わっている杉の大木は、貧しかった川越藩大名の、せめて杉の種でも寄進して将来の林にしようという志が実現したもので、清々しさとともに大猷院に経済的な恩恵をもたらしている。
(写真下左:大猷院仁天門、中央:灯篭の庭、右:杉の大木)
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次回は、参加者それぞれのコメントを特集します。
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