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■ 研究員ブログ79 ■ 浦上天主堂の思いを世界へ~長崎の教会群とキリスト教関連遺産

今年も暑く、そして熱い夏がやってきました。
強い陽射しが、じりじりと肌を焼きます。

今年は、広島と長崎に原子爆弾が落とされてから70年になります。
僕は、平和祈念式典の準備が進む長崎を訪ねてきました。

長崎は、来年登録される予定のものも含むと、
世界遺産の構成資産が多くある街です。
ここにきて急に、世界遺産の街になりつつあります。

『明治日本の産業革命遺産』の構成資産や、
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産を観たあと、
浦上天主堂と平和祈念公園、永井隆記念館を訪れました。

僕は長崎のキリスト教関連遺産が大好きなのですが、
浦上天主堂はその構成資産から外れました。
原子爆弾によって壊滅的な被害を負った後に、
現在の姿に再建されたからです。

浦上地区というのは、昔からキリスト教徒の多い街です。
大浦天主堂にプティジャン神父を訪ね信仰を明かした「信徒発見」も、
浦上の隠れキリシタンたちでした。

禁教が解かれた後、人々が30年かけ力を合わせて築いたのが
煉瓦造りのロマネスクの浦上天主堂です。

しかし、浦上天主堂が完成してから約20年後の8月9日、
原子爆弾が浦上のキリシタンたちの希望を打ち砕きました。

長崎の原子爆弾は当初、長崎の中心部に落とされる予定でしたが、
天候の所為で落とすことができず、
偶然、雲の切れ目であった浦上地区に投下されました。

多くのキリスト教徒たちが犠牲になったという事実が、
残されたキリシタンたちを苦しめます。
禁じられながらもキリスト教を信じ続けたために
天罰を受けたのだという、「浦上天罰説」です。

生き延びてなお苦しんだ浦上のキリシタンたちを救ったのは、
長崎医科大放射線科の医師であった永井隆さんでした。

彼は、自身も被爆したにも関わらず救護活動にあたり、
3日後に自宅に戻ったときには、妻は亡くなっていました。
疎開していた幼いふたりの子どもと再会しますが、
長崎駅近くで倒れ、1951年に亡くなるまで病床の中で執筆活動を続けました。

キリシタンであった永井さんは、
イエス・キリストが人類の罪を背負って犠牲になったように、
浦上の人々が犠牲となって神に捧げられたのだと説きます。

この永井さんの考え方には反論も多くありますが、
浦上のキリシタンたちの心を軽くしたのは確かだと思います。

実際、山に囲まれた浦上に原子爆弾が落とされたことで、
長崎中心部に投下された場合よりも、
ずっと少ない被害で済みました。

広島に投下されたものよりも威力が強い原子爆弾だったにも関わらず、
被害が広島よりも少なく済んだのもそのためです。

長崎の中心部に原子爆弾が落とされていたら、
『明治日本の産業革命遺産』の構成資産も
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産も、
壊滅的な被害を受け、世界遺産に登録なんてあり得なかったでしょう。

地形や気候、タイミングなどの紙一重で連なる偶然の上に、
いま僕たちがいる世界はあります。

本来、長崎や日本のキリスト教の広がりを考える時、
浦上地区や浦上天主堂を外すことはできません。
しかし、先述したように、現在の世界遺産の枠組みでは、
浦上天主堂を構成資産にすることはできないのです。

今回の長崎では、こうした世界遺産の矛盾を非常に強く感じました。

シリアルノミネーションで登録された構成資産の中には、
本当に「世界遺産」として守らないといけないのか、
世界中の人々が同じように大切に思うほどのものなのか、
と考えさせられるものもありました。

それらが僕たち日本の文化や歴史の中で重要で、
次の世代に残していかなければならないということはわかります。
……でもね、って思ってしまうのです。

禁教を生き抜いて浦上天主堂を築いた人々の喜び、
それを突然暴力的に奪われた悲しみ、
更にそれを乗り越え再建して守り伝えている現在の人々の思い。
これこそ世界中の人々で共有すべき価値なのではないの、
って思ってしまいました。

長崎を訪れたら、世界遺産を「観光」するだけでなく、
「世界遺産とは何なのか」ということをぜひ考えて下さい。
長崎ほどそれにふさわしい街はないと思います。

永井隆記念館で、幼い子どもたちと過ごす病床の彼の写真や、
残された文章や言葉を読んでいて、めまいを感じたのは、
炎天下を歩き回ってきたからではありません。

何万人が犠牲になったという無機質な情報よりも、
ひとりの人間が何を感じて何をしたのか、
どう生きたのか、ということの方がずっと胸に響きます。

頭や心がぐわんぐわんするような感覚。

世界遺産かどうかなんて、
どうでもいいことなんです、
きっと。

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